「清平古墟」の入口に掲げられた扁額(撮影・張沢宇)。
広東省深セン市宝安区にある「清平古墟」には、レンガ造りの建物やアンティークな雰囲気を漂わせる石橋のほか、今風のオシャレなカフェもある。歴史的資源が豊富で、文化的なムードを感じることもできるため、多くの観光客が同地を訪れている。人民網の中国人と外国人の記者からなる深セン取材チームは今月13日、そんな「清平古墟」に足を運び、かつて商業中心地として賑わっていた場所や古代の定期市関連の建物跡を見学し、中国の伝統文化を体験した。人民網が報じた。
「清平古墟」の永興橋。永興橋は、清朝乾隆50年(西暦1785年)に建設された石造三連アーチ橋で、これまで200年以上、「清平古墟」の移り変わりを見守ってきた(撮影・魯揚)。
古代の中国において、「墟」は定期市を指し、そこで人々は商品の取引を行っていた。清末から民国の初期にかけて建設された「清平古墟」は、200年以上の歴史を誇る。昔、そこは深センの繁栄した商業中心地で、各種の店があり、その品揃えは豊富で、商人や買い物客で賑わっていた。現在、「清平古墟」は、深セン市の重要な歴史文化教育拠点と歴史的名墟となっているほか、映画・テレビ、アート、レジャー、文化・観光が一体となった総合映画・テレビ産業クラスターにもなっている。
「清平古墟」の壁に飾られた伝統劇の登場人物などがデザインされた油紙傘(撮影・張沢宇)。
広東省は、中国の獅子舞文化の重要な発祥地の一つで、なかでも「醒獅」が最も有名だ。広東省級無形文化遺産に指定されている「醒獅」は、武術と踊り、音楽が一体となった文化パフォーマンス。広東省において、獅子舞は、春節や端午節、中秋節(旧暦8月15日)といった祝祭日に行われ、平安や幸福、素晴らしい暮らしへの願いが込められている。「清平古墟」で、ドイツ人記者のOliver Fritzschさんやタンザニア人記者のKwizela Aristide Basebyaさんは、獅子舞や広東獅鼓を体験。Oliverさんは、「獅子頭を掲げながら踊るのは、本当に体力が必要。多くの子供が7、8歳から獅子舞の練習をしていると聞いた。練習を続けるには好きなだけでなく、続けていく意志の力もより必要だと思う」とした。
獅子舞を体験するドイツ人記者のOliver Fritzschさん(撮影・魯揚)。
広東獅鼓を体験するタンザニア人記者のKwizela Aristide Basebyaさん(撮影・陳思)。
今回の取材チームは、ドイツ人やベルギー人、キューバ人、イタリア人、チュニジア人、タンザニア人などの記者から構成されており、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語など10ヶ国語以上をカバー。マルチ言語やオムニメディア、マルチプラットフォームといったメリットを存分に活かし、深センの物語を伝え、深センのグローバルイメージの発信をバックアップする。
中国の古代の礼儀作法を体験するベルギー人記者のFanny Béatrice C. Pittemansさん(撮影・魯揚)。
中国の古代の漢服文化について説明を受けるキューバ人記者のYasef Calderónさん(撮影・魯揚)。
情緒あふれる「清平古墟」(撮影・魯揚)。
広安当鋪(質屋)。「広安当鋪」は、深センに現存する最大規模の質屋跡で、現地の人々は「当楼」と呼んでいる。建設された当時のままの姿が保たれている(撮影・魯揚)。
新橋粮倉(穀物倉庫)の前で行われた獅子舞。1950年代に建設された新橋粮倉は、宝安県の四大穀物倉庫の一つだった。倉庫は2つの円形の倉庫からなり、赤レンガを積んで建設されている。屋根には瑠璃瓦が使われており、中には複数の部屋があり、食料の保存や輸送に用いられていた。中国南部の伝統的な建築様式「嶺南建築」の建物となっている(撮影・魯揚)。