2023年8月26日、深セン経済特区は設立から43周年を迎えた。
43年にわたり、深センは小さな漁村から国際化した大都市にまで発展してきた。GDPは1980年の2億7000万元から2022年の3兆2400億元に上り、人口は1980年の33万人から、現在では実際に管理している人口が2000万人以上になっている。
撮影:寧傑文
深センは中国南部の沿海部に位置し、北は東莞市と恵州市に接し、西は珠江口と伶仃洋に臨み、南は深セン湾を隔てて中国香港地区とつながっている。
深センは「10+1(福田区・羅湖区・塩田区・南山区・宝安区・龍崗区・龍華区・坪山区・光明区・大鵬新区の10の行政区および深汕(深セン・汕尾)特別合作区)」で構成される。「2023年CCIDコンサルティングトップ100区」ランキングにおいて、深センから4つの区がトップ5にランクインし、うち南山区は首位に立っている。また、中国初の特別合作区としての深汕特別合作区も急速な発展時期に入っている。
写真:深セン発布提供
深センは数多くの成績を収めており、一線都市、移民都市、奇跡の都市、イノベーションの都市、未来都市、読書の都市、青春の都市、デザイン都市、および中国特色のある社会主義先行モデル地区といったラベルがある。これらの成績の背後には「大胆な試み」という精神的推進力がある。
写真:深セン発布提供
中国の他の都市に比べると、深センの面積は狭くなっている。しかし、この狭い空間には数多くの「不可能」が生まれた。
改革するなら、深セン南山区蛇口で山を切り開いて港を築いた。スピードを求めるなら、「3日間で1フロア」を建設した。公園を建設するなら、「千園のまち」を目指して建設した。インターネットの発展をするなら、5Gネットワークフルカバーを実現した初の都市になった。起業するなら、スタートアップ企業が中国で最も多い都市になった。質の高い発展をするなら、中国の土地面積の0.02%でありながら、中国のGDPの2.6%に寄与している。
撮影:何龍
「深センは文化の奥深さに欠ける」と言われることもあるが、これはあまりにも短絡的な考えだ。開放的で包容力のある深センは、多様な文化的基盤を築き上げてきた。
撮影:寧傑文
平安金融センターや中国華潤ビル「春筍」、DJI「天空之城(DJI Sky City)」などの高層ビルがある他、各種の図書館や博物館、公共スペースも次々に建設されている。深センの人々は城中村(都市の中の農村)で展覧会を開催したり、砂浜や芝生で音楽祭を行ったり、海辺で踊ったりしている光景がよく見られる。
撮影:寧傑文
深センの人々は読書量が全国をリードしており、24時間営業の書店もますます増えている。2008年には国連から「デザイン都市」、2013年には世界唯一の「世界読書モデル都市」という称号を授けられた。
写真:深セン発布提供
深センの人々は各地からやって来ている。湖南料理や潮汕の粿条(ライスヌードル)、上海の焼き小籠包、武漢の熱乾麺、そして異国のグルメなど、深センで気軽に楽しむことができる。
多様な文化は、コーヒーやタピオカ、飲茶、夜食など、およびサーフスケートやクライミング、ダイビング、ショッピングなどの多彩な生活様式をもたらした。このような体験を求めて、香港の市民たちまでもがよく「北上」して深センに訪れる。
深センの市民の平均年齢は約32.5歳で、人々は「おとなしくない」奮闘中の存在である。ここでは4人に1人が起業家であり、イノベーション企業が集まり、産業チェーンが整備されている。「小さな政府、大きな市場」の下で、ビジネス環境は常に最適化されている。
そのため、テンセント、ファーウェイ、比亜迪(BYD)、大疆(DJI)、招商銀行(CMB)、中国平安保険(PingAn)など、各業界のリーディングカンパニーが深センで根を下ろし、着実に発展してきた。また、面積がわずか約20平方キロメートルの深セン市粤海街道には、100社以上の上場企業が存在している。
撮影:寧傑文
深センは若者が定住し起業することができるように、グリーンロード3119キロメートル、公園1260カ所、花壇道路60本、花の街区222カ所を建設した。デパートや公衆トイレ、AED(自動体外式除細動器)などの施設には都市管理の工夫が凝らされている。
撮影:寧傑文